他人に完璧さを求めている自分に気づく

今回挑戦した課題は「他人に完璧さを求めている自分に気づく」というもの。

挑戦したというより、ある事件をきっかけに、奥さんにこっぴどく注意され、いつも気付かされるもの。

いつも感情的になってしまう私・・・。あとで言い過ぎたなと反省するも、治らない。

でも、この課題を見て、その原因に気づいた。

それは「子供たちに完璧さを求めている」ということ。

そして、子供に対し”こうあるべき”という考えを180度変えてみることにした。

問題は解けないのが当たり前。解けないから一緒に勉強している。

勉強を教えていても、”何でそんな簡単なことが分からないの”と私はイライラ!

問題が解けないことに対してもそうだが、勉強する態度にも目が行ってしまう。子供の目はうつろで明らかに集中していない。鉛筆もしっかり持たない → 落書きをし始める → 質問してもふにゃふにゃ答える → そして、私の雷が落ちる → 子供泣きだす → それにイライラする。

正に負のループです。

でも、仕方ないんです。子供は、わからなくて、どうしようもないんだから。そりゃ面白くないわ。わからないものを、強制的に椅子に座らされ、鉛筆を持たされ、考えているふりをしないと怒られるんだから。わからないことを聞かれても、わからないから答えられない。つらい時間を親子ともども過ごしている。親はともかく、子供にとってどんなにつらいことか。

私も教えるのが上手ではない。答えはわかっても、子供が理解しやすい教え方を知らない。教科書を見ても上手に教えられない。そんな自分が不甲斐なくて、イライラして、結果子供に当たってしまうありさまです。

「自分は上手に教えられるし、それを子供も素直に理解してくれる」そんな幻想は捨てよう。

むしろ、「解き方を子供に教わる」→「どこまでの内容を理解しているのか知る」→「そこまで理解していることをほめる」→「次のステップはどんな風に伝えれば理解するのかを気長に試してみる」→「わかったら一緒に喜ぶ」くらいの感覚で一緒に勉強を見てあげることにしよう。

先を急ぎすぎる(早く答えまで導こうとする)から、うまく流れないとイライラする。早く行きついた先に(答えを知っただけで)、勉強嫌い、パパから勉強を教わることへのトラウマしか残らないのは不本意すぎる。結局のところ、今までは私が楽をしたかっただけで、それが邪魔されたとたん、イライラしてしまっていたのかもしれない。

時間がかかっても、楽しく進めることができてこそ、子供にとっても意義のある勉強になるのかもしれない。

大谷翔平ではない

女の子ながら、少年野球に所属している長女。

人数が少ないから、二年目にしてセカンドのレギュラーに。

家庭での練習不足のせいもあり、試合ではエラーも三振もお手の物。チームに迷惑をかけるし、早く頼りになる存在にならなくてはと、焦る私・・・。

そして、気付いたら熱血指導が始まる → 長女はうんざり → しっかり動けと怒る私 → 長女泣く → 何で真剣にやれないのかと憤る私 → 奥さんに呆れられるし、家中険悪に・・・と一番望んでいない結果になっていた。

そして、とある試合でのこと。

セカンドフライを取れてご満悦な長女に対し、そんなのできて当たり前のプレーだと切り捨ててしまった私・・・。その時は、もっと高みを目指してほしいからこそ、そんなことに満足せずにもっとああしろ、こうしろと言ってしまった・・・

長女からすれば、もっと褒めてほしかったとおもう。グラウンドの中で、ルールも完全に覚えきれていないし、体も思うように動かない、観客は一杯いるし緊張MAXの中で精一杯のプレーだったんだから。

今になって、折角の自信と野球への楽しみを、私の言葉一つでつぶしてしまったと猛省しています。

これからは頑張ったこと、できたこと一つ一つに焦点を当ててほめてあげよう。大人が思っている当たり前は、子供にとっては特別な出来事なんだから。 

そして、野球に関していえば、楽しく少しづつ上達してくれればいい。前回フライが一個取れれば、次の試合ではフライ一つとゴロでアウト一つとれればいい。

大谷翔平みたいに打って守っての活躍は、引退前の1試合でできればいい。それまで気長に待とう(チームのみんな🙇)

監督やコーチに怒られても、しっかりフォローします。一個ずつできるようにしようか

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